DF15 佐々木 旭
目標はW杯に出ること
最初は自分が思ってることが全然できなかった
- プロデビューを果たした心境はいかがですか?
-
徐々に楽しめるようになってきました。
最初は毎日が絶望でした。大学とはスピードもサッカーの質も違って、自分がやろうと思ってることが全然できなくて。練習が終わったあとに「僕は今日1日何してたんだろう…」って気持ちになる。それが絶望(笑)。
でも最近はボール回しが楽しくて。早く終わってくれと思っていたのが、もっとやりたいと思えるようになりました。 - ずっと中村憲剛さんに憧れていたと伺いました。
- 小学生の時に等々力に行って、そこから14番が大好きになって。小、中と14番をつけてました。高校と大学はじゃんけんで負けて、24番と34番でしたけど(笑)、それくらい好きでしたね。
- 高校までは無名の選手だった、という言葉がよくプロフィールにつけられますね。
-
プロになるっていうイメージも持っていませんでした。
流経(流通経済大学)のサッカー部に入部したときも、レベルごとに6チームぐらいに分かれていた中で僕は一番下。流経の底辺(笑)。サッカーをやらせてもらえないんですよ!審判したり、地域の餅つき大会のお手伝いしたりで、自分は何してるんだろうって。
転機はSBにコンバートされて試合に出られるようになったことと、チョウ・キジェさん(現・京都サンガF.C.監督)が指導者として大学に来てくださったことですね。フロンターレに入れるまでになれたのはキジェさんの指導のおかげです。 - 複数のオファーのなかでフロンターレを選んだ理由は?
- 最初から試合に出られるよと言ってくれたチームもあったけど、それは自分が成長しないなと。でもフロンターレだと当分試合に出られないかも、と迷っていたら、父親から「フロンターレでプレーできるサッカー選手はそんなにいない。幸せなことだよ」と言われて。確かにここで断ったら一生フロンターレでプレーできないかも、と決めました。
- 開幕戦に出られなかったことをとても悔しがっていましたね。
- 他のクラブでプレーしている同期が開幕から出ている姿を見て、置いて行かれる感覚がありました。何より自分のなかで目標があるので。初戦から出られないとやばい、1試合でも早く出て誰よりも活躍したいと思っていました。
- 目標とは?
- カタールW杯に出ることです。大学時代、監督から「W杯に行けよ」ってずっと言われていて、W杯を意識してきました。流経のOBでW杯に出た選手がまだいないんです。いま1番近いのが守田さん(守田英正選手・CDサンタクララ所属)と言われていて。僕はまだまだだけど、守田さんにも負けたくないっていう気持ちは持っています。フロンターレに加入が決まってその目標がはっきりしました。
- 森保日本代表監督から名前も出て、遠い目標ではなくなってきていますね。
-
名前を出してもらったということは森保監督の頭のなかにあると思うので、今のパフォーマンスを続けていきたいです。
でもまずはチームのなかで、あいつがいなきゃダメだなと思われる選手になること。シーズンで5、6点取れるようなSBになりたいと思っています。
初めてゆっくりとお話できましたが、謙虚さと大胆さを併せ持つ魅力的な選手でした。フロンターレで試合に出られないかもと思っていた、と話す一方で、目標はカタールW杯とはっきりと口にする。そういえば鹿島戦でのヒーローインタビューの時、「あまり喋るのが得意じゃないんですよね」とはにかみながらマイクの前に立ったのに、インタビューが始まるととても堂々と話していて驚きました。これからもっと佐々木選手のいろんな面を掘り下げていきたいと思いました!