MF17小塚 和季 MF17小塚 和季

MF17 小塚 和季

川崎色に染まる

カテゴリー関係なく同じ姿勢でサッカーに向き合ってきた

お父さんがサッカーのコーチをされていたそうですね。
父は元々社会人チームでサッカーをしていたこともあって、ボランティアで小さい少年団のコーチとしてお手伝いをしていたんです。そこに連れられて行ったのがサッカーを始めるきっかけになりました。
お父さんは息子をサッカー選手にしたかったんでしょうか。
そうかもしれないですね。父は三浦知良選手のファンなんですけど、カズという僕の名前も三浦選手から取ったと聞いたことがありますし(笑)。
子どもの頃、アルビレックス新潟の試合を観に行かれていたそうですが「自分もこのピッチに立ちたい」と思っていましたか?
地元の新潟でプロになりたいという思いはありましたね。やっぱり両親に地元のスタジアムでプレーしている姿を見せたいと思っていました。
高校時代から「天才」と評される存在だったそうですね。
それは分かりませんが(笑)、自信は持っていたと思います。ただ、高校2年生でアルビレックスの練習に参加してプロの紅白戦に出た時になんにもできなくて。そこで「あれ!?何か違うな」って思ったのは覚えてますね。今考えるとプロと高校生で違いがあるのは当たり前なんですけど。差を感じました。
早いうちに上のレベルを知るのは大切なんですね。
そう思います。
高校卒業後、目標通りアルビレックス新潟でプロデビューし、翌年に当時JFLのレノファ山口へレンタル移籍。カテゴリーを3つ下げるという選択は驚きました。
よく人にびっくりされます(笑)。でもあまり人がやってないからこそいいという気持ちがあって。そこから這い上がって行くのもいいんじゃないか、と。環境を変えて試合に出て、まず自分の良さを取り戻したいという思いしかなくて。
J1からJFLだと環境も違ったのでは?
全然違います!練習場の芝も人工芝だし(注・天然芝より硬く足腰に負担がかかりやすい)。クラブハウスもないので練習後のシャワーは公共施設で3分100円のものを使うんですよ。毎日のことだから、先に使ってる先輩が1分残してくれたりするんです。それを「ありがとうございまーす!」って後輩が走ってシャワーに駆け込んだり(笑)。
あと、僕はレンタル移籍でプロ契約でしたけど、ほとんどの選手は他に仕事をしながらサッカーをしていて、練習後にそのまま仕事に行ったり。
そういった環境で感じたことはありましたか?
サッカーに対する覚悟とか、一つの試合に出る重みというものを感じながらプレーできるようになったと思います。
その後の移籍もありJFL、J3、J2、J1と全てのカテゴリーでプレーした経験をご自身でどう捉えていますか?
カテゴリー関係なく同じ姿勢でサッカーに向き合ってきたことが、今こうしてフロンターレでプレーできることに繋がったと思っています。そして今はフロンターレで思うように試合に出られていないという現状に対してどう向き合っていくのか、ということが自分にとって大事なことだと感じています。
練習を拝見していて、いつチャンスが来てもいい準備をされていることを感じます。
思うように試合に出られない中でも、フロンターレに来てから自分のレベルが上がっていることは実感できています。判断のスピードや切り替えの早さは他のクラブとの違いを感じるし、特にそういう部分は川崎色に染まってきているなと思いますね。
これからどんなプレーをしていきたいですか?
見ている方が思わず「おーっ」と声を上げてしまうようなプレーを、フロンターレではまだ1度も見せられていないと思っているし、何より自分自身が納得するものが出せていなくて。ひとつでもそういうプレーを見せたいと思っています。
プロフィール

【小塚 和季】1994年8月2日生まれ 新潟県見附市出身 クラブ公式プロフィール
高い技術と並外れたパスセンスでチームの攻撃を中盤から活性化、そのセンス溢れるプレーで見ているものを魅了するMF。アルビレックス新潟―レノファ山口FC―ヴァンフォーレ甲府―大分トリニータと各チーム、各カテゴリーで結果を残し、昨シーズンよりフロンターレに加入。

フリーアナウンサー 高木聖佳’s eye フリーアナウンサー 高木聖佳’s eye

いつも穏やかな微笑みで取材対応してくださるという印象でした。こうして1対1で長時間お話しても優しい語り口調で、ご家族の中でも温和なパパなんだろうなと想像してしまいました。出場機会を思うように得られない時期は、選手として本当にきつい時間だと思いますが、その中でも練習で一切手を抜かない姿は印象的です。ご本人が「これだ」と納得するプレーをピッチで見せてくれる日を心待ちにしています!