MF26 永長 鷹虎
自分のプレーを見せたい
ピッチのすごい雰囲気やあの感覚をもっと味わいたい
- ルーキーイヤーはいかがでしたか?
- やっぱり厳しかったですね。「プロの上手い選手は、そんなに練習しない」って勝手なイメージを持ってたんです。でも全然違って「あんなに上手いのにこんなに練習するんや」って。自分はまだまだやから、その先輩たちの倍やらな試合に出られないな、と。
- 今年6月のプロデビュー戦での初ゴールは印象的でした。
- 雰囲気がすごかったです。コロナ禍で声出し応援はなかったけど、ピッチに出て行った時に拍手をもらえて応援されてることを肌で感じられて…「ああいいな、サッカーしてるな!」と思った瞬間でした。あの感覚をもっと味わいたいし、もっとプレーを見てもらいたいです。
- 会場の雰囲気が後押しになってゴールに繋がったんですね。
- 応援されることで自分の力以上のものが出せたというか、この人たちの前で点を決めたいという気持ちが強くなって。だから自分のところにボールがこぼれてきたのかなと。サポーターの皆さんのおかげです。でも、点は決めてもまだまだ自分の良さを出し切れませんでした。ここから「これだ」という自分のプレーを見せていきたいです。
- 中学までは名の知れた選手ではなかったと伺いました。サッカーの名門・興國高校に進んで試合に出られるかという不安はありましたか?
- 確かに中学はあんまり強いチームじゃなかったけど、かといって自分が誰かに負けてるかと考えたら「誰にも負けてへん!」と思ってたタイプだったんで。高校に入ったらめちゃくちゃ苦しみましたけど(笑)。自分の良さを出せないまま、気付いたら「やベっ、もう高3やん!」って(笑)。
- 徹底的に「個を伸ばす」監督だったと伺いました。
- 例えばドリブルでボールを持ちすぎても怒られないです。その代わりボールを奪われたら自分で取り戻せよ、というタイプの監督で。逆に僕が自分の武器であるドリブルで勝負できずにパスばっかり選択してしまっていた時は、それじゃお前がいる意味はないぞと怒ってくれて。その高校時代があったから今があると思います。
- だからプロになれた、と。
-
はい。あとは家族の存在が大きかったです。僕は4人兄弟の末っ子で、僕が高校に入る時はお兄ちゃんが大学生になるというタイミングだったんですよね。だから金銭的にも親が大変で。私立高校だけど学費の免除が受けられなくて、僕がお兄ちゃん達より1番お金がかかったと思う。
監督との三者面談で「身体を大きくしないと」言われたら、そこから朝ごはんが毎日焼肉ですよ?お肉もお金かかるし。それに毎日早く起きてお弁当を作ってくれて、土日は必ず試合を観に来てくれて…。これでもしプロになれなかったら家族に顔向けできないって。絶対にプロになりたいという気持ちがありました。 - プロ入りは高校に入る時から決めていたとか。
- ずっとサッカーしかしてこなかったから。自分でもサッカーでプロになれなかったら何するんやろ?って思っていたし、家族も僕がプロになれへんかったらやばいんちゃうか?と。だからフロンターレに加入が決まったときは、僕より親が喜んでいましたね(笑)。
- ここから活躍して家族に恩返ししたいですね。
- 僕のことで家族旅行とか行けてなかったんです。これから活躍して家族に海外旅行をプレゼントしたいです。プレゼントするだけでもいいけどできれば僕も一緒に(笑)、家族みんなで行ければ嬉しいです。
永長選手のドリブルは一見の価値ありですが、それだけでなく正確な左足のキック、高いテクニックを含め「魅せる」プレーヤーです。でもピッチを離れるとひと懐っこい笑顔とゆったりとした関西弁で周りを癒し、まさに愛されキャラ。 名前が印象的ですが、お父さんが歴史好きで上杉謙信にあやかりひとつ上のお兄さんを「景虎」と名付けたそう。で、兄弟で1人だけ変わった名前だといじめられるかもしれないから「鷹虎」にしたと聞いたそうですが、「鷹」の由来は本人も「知らない」そうです(笑)。ちなみに「1番上のお兄ちゃんは『ツヨシ』だと話したらいつも驚かれます」とのことでした(笑)。