DF15 田邉 秀斗
言い訳せずに今の自分と向き合う
ピッチに戻れてめちゃくちゃ嬉しかった
- サッカーの名門・静岡学園高校からフロンターレ入り。順調にキャリアを積まれてきた印象です
- いや全然。高校に入ってからもプロに行けるなんて思ってなかったです。高2の時に高校サッカー選手権で優勝して、先輩のプロ入りが決まった時に自分も行きたいとは思ったものの、現実味はないな、と思ってました。
- だけどフロンターレからオファーがきたんですね
- 選手権の翌年2月に、向島さん(川崎フロンターレ強化部スカウト担当)が契約書を持って面談に来てくれたんです。それまでお会いしてご挨拶したことはあったんですけど、ちゃんとお話したことはなかったからびっくりでした。
- そんな感じなんですか?スカウトの方とは何度も顔を合わせて正式なオファーがくるものかと思ってました
- 僕もそう思ってたんですけど。コロナ禍だったからというのもあると思います。あとで聞いたら、僕が試合に出だした高2の夏頃からずっと見てくださってたみたいで。面談の後、自分の中ではすぐに行くと決めて、親も「あんたが勝負したいなら行くべきや」って言ってくれたので、翌日にはサッカー部の監督に「プロに行きます」と伝えました。
- プロ3年目の今年はすでにいろんなことがありましたね
- まだ嬉しいことはあまりないのが残念ですけどね。シーズン途中で戻ってきた難しさを感じている中でケガもしてしまって。早く笑顔でプレーできればと思っています。
- まず3月にジェフユナイテッド千葉から急遽復帰することになりました。難しい決断だったと思います
- フロンターレは自分にとってプロのスタートを切ったクラブで、ここで活躍することが僕の1番の目標なんです。あのタイミングで呼び戻してもらえたのは、それを叶えるための道だと思いました。
- ただすぐにケガをされてしまいました。その時のことはどう振り返られますか
- あのケガをしてしまった試合(4月9日ガンバ大阪戦)の映像はまだ1度も見返すことができていないです。ケガした瞬間のことは覚えてなくて、記憶に残っているのはその後にノボリさん(登里享平選手)や他の選手が声をかけてくれたことくらい。僕はまだプレーを続けようとしていたんですよ。でもノボリさんが「もうやめておけ!」って。実際大ケガだったし、それでやめて良かったと思ってます。助かりました。
- 全治5ヵ月という診断を聞いた時はどんな心境だったんでしょう
- 大きなケガをしたのが人生初で、手術も初めてで。サッカーをできないことも初めてで…びっくりしました。
- ショックというより驚きが大きかった?
- サッカー選手をしていたらケガは付き物だと思っていたので。ただ治るまでが思ったより長かったことにびっくりしました。でもまあしょうがないか…と。もちろんショックはあったんですけど、翌日には荷物まとめて入院の準備して「手術して早く治そう」と思ってました。そういう時の自分は「凹んでても一緒やな」と思うタイプなんです。
- 前向きに考えられるんですね。「パワーアップして戻ります」とコメントされていたことも印象的でした
- (リハビリの期間に)何か得ないと、ただただケガしただけになってしまう。「ケガしました、残念でした」で終わるのだけはやめようと思っていました。
- そして7月末にFCバイエルン・ミュンヘン戦でピッチに立たれました
- 以前の自分なら「ここはもう少し守備に行けたな」とか色々ありましたけど、まずはやり切ることに精一杯。ただめちゃくちゃ嬉しかったですね。しかもあんなすごい海外の選手たちと一緒にプレーできたのは良い経験になりました。
- ようやくピッチに戻られて、ここからですね
- ケガ前のコンディションに戻すのは簡単じゃないと思ってますが、4ヵ月休んでいたからとか言い訳せずに今の自分と向き合っていきたいです。まだシーズンはここからACLもあって総力戦になるのでチームの力になれるように。来シーズンに向けて自分の立ち位置を作るという意味でも、もっと印象を残したいと思っています。
今年3月、田邉選手がフロンターレに復帰するとの報道には驚きました。開幕してすぐのタイミングでの復帰。キャンプからチームを作り上げてきた中にDFとして入っていくのは本当に難しかったと思います。もっと驚いたのはその5日後。田邉選手はセレッソ大阪戦でスタメン出場し、無失点に貢献する堂々たるプレーを見せつけました。
だからこそケガをされた時は私も残念で仕方なかったです。ただ今回、その経験も自分の糧にしようとするお話が聞けて、ここからの田邉選手がさらに楽しみになりました。
ちなみに最近の田邉選手のマイブームは「料理」。写真を見せてもらいましたが美しい盛り付けでとても美味しそうでした!