MF31 山村 和也
自分が変えられることに妥協はしない
精神的に鍛えられた国見高校時代
- サッカーの名門・国見中学、国見高校のご出身。中学生の時から親元を離れて下宿をされていたんですね。
- 県外の生徒も多くて国見中学のサッカー部は下宿生活している子が多かったですね。僕は実家が長崎市内にあるんですけど、車で1時間半くらいかかるので下宿しました。比較的近くに住んでいても、親に会えるのは月に1度か2度くらいだったかな。会うのを制限されているわけじゃないんですけど、部活が忙しくて。
- 「サッカーでプロになりたい」という思いでその環境を選んだんでしょうか?
- そうです。中学に上がる頃にはプロになりたいと思っていて。でも1番は僕が小学6年生の時に見た高校選手権。大久保嘉人さん(元日本代表・2000年選手権の国見高校優勝メンバー)が選手権で活躍している姿を地元のテレビで見ていて、憧れて国見中学に進学しました。
- 中学はまだしも国見高校ってものすごく厳しいんですよね?
- いやもう、はい(笑)。フィジカルでいうと、学校の近くの狸山っていう山を走るのが名物なんですけど、雲仙普賢岳に向かって5キロの上り坂をひたすら走る。そして同じ道を走って降りるっていう。練習後や校則違反の連帯責任で走ったり。
- 国見高校での経験は今に活きていると感じますか?
- 走り込んだ分強くなったとは思いますし、何より精神的に鍛えられました。今思うと、あの頃の自分はサッカーに懸けてたなってあらためて感じます。
- ベテランの山村選手がメンバー外になった試合当日も居残りで練習している、という話を聞いて驚いたことがあります。
- 僕は変えられることと変えられないことがあると思っているんです。評価は人がするもの。一方で自分のコンディションは自分で変えられる。だからこそ妥協なく取り組みたいので、試合に出ていても出ていなくても、変わらずにトレーニングすることが大事だと思っています。
- 私なら気持ちが折れたり、やってられないと思うこともありそうです。
- 僕もやりたくない時はやらないですよ。そういう時はすぐに帰ったりもします。でも、それを長く続けたら意味がないことを知っているので。やった時の方が身体の調子がよくなることもわかっているし、自分の調子さえ良ければ評価も変わる。そうして評価も自分で変えていけるってことをモチベーションにしてやっています。
- 33歳、ここからさらに円熟味が増したプレーを期待します。
- これから年齢を重ねていくと身体の衰えが出てくるかもしれないですが、その中で助けてもらうところは助けてもらい、そして自分も周りを助けていきたいですね。自分のストロングポイントは変わらないですが、経験してきたことも武器としてチームに還元しながら、自分も活かせる状況にしていきたいと思ってます。何よりチームがタイトルを獲るために、どんな形であってもしっかり貢献できる存在でありたいです。
5年ほど前、FMサルースの番組「Music Frontier」に山村選手がゲスト出演してくれました。その時「番組に出たりするの得意じゃなくて。家を出る時に、妻から『大丈夫なの?』と心配されました」とおっしゃっていたのが印象に残っていました。今回も、取材を始める時に「苦手なんですよね。緊張するんですよ」と。でも、楽しいお話をたくさんして頂きました。
山村選手についてチームメイトに聞くと、揃って「優しい!」という言葉が返ってきます。きっと取材は苦手だけど、その優しさからたくさんお話してくださったのかなと。
ご家族の話になると、いつも穏やかな表情がさらに柔らかくなります。オフの日は家族と過ごすのが基本。奥さまともとても仲が良いそうで、夫婦円満の秘訣は「思いやり」と教えて頂きました!ちなみに、家族でカラオケに行くというお話も出たのですが、山村パパが何を歌うのかは絶対に教えてくれませんでした。「恥ずかしいから」だそうです(笑)。