川崎フロンターレ 山原 怜音選手 川崎フロンターレ 山原 怜音選手

DF29 山原 怜音

フロンターレで成長してもう1つ上の景色が見たい

フロンターレは自分のサッカー感に合っていると思った

プロキャリアをスタートさせた清水エスパルスから今年移籍しました。決断は簡単ではなかったですよね。
おっしゃる通りで、静岡での生活が長かったですしエスパルスには5年間いましたから。街の雰囲気とか、日々の生活、練習場、サポーターとの関係性といった全てが何不自由なく心地よく、サッカーに集中できる環境でした。ただ、その心地よさは自分にとって良いことだけではないのかもしれないと。自分がもう1つ成長して殻を破り、もう1つ上の景色を見るためには、もっと厳しい環境に身を置く必要があるんじゃないかと考えているなかでの決断でした。
成長するために環境を変える必要性を感じていた?
これは自分がチームへ貢献しきれなかったことも原因ですが、エスパルスではJ2降格やJ1残留争いを経験してきました。そのなかで、特にJ2からJ1へ昇格した初年度、J1のクオリティやスピード感に置いてかれちゃダメだと痛感したんです。J2とJ1のレベルの違いに驚くと同時に、自分が高いレベルであり続けるにはJ1の上位の環境に身を置く必要があると感じていました。自分のレベルが常に上にあれば、プレーの幅やメンタルの部分も変わるんじゃないかと。
なぜフロンターレだったのでしょう?
フロンターレにはもともと憧れがありました。大学生でプロ入りを考えてる時期にちょうどタイトルを獲っていて、ものすごく強いフロンターレのイメージが頭に残っていて。そのクラブからオファーをいただいたので「行くしかないな」って感じでしたね。
タイトル争いができるイメージが持てたんですね。
そこだけではないんです。僕は中学でJFAアカデミー福島(日本サッカー協会運営の中高生世代のエリート育成組織)出身ですが、そこでは基本技術を大切にしながら人とボールが連続して動いて、しっかりとパスをつないでゴールを目指していく、という攻撃的なサッカーを学びました。その自分のサッカー感に合っていて、やりたいスタイルで上に居続けているのがこのクラブだなと。上位のクラブは他にあったなかでも、自身が成長しつつ上を目指せるクラブはここだと思いました。
中学生から加入したJFAアカデミー福島(在籍時は東日本大震災の影響により静岡県で活動)では寮生活だったんですよね。親御さんは寂しがりませんでした?
親は「行ってこい!」って全然寂しくない感じでした(笑)。僕が最初ホームシックでよく泣いてたら、電話しても笑われて「なに泣いてんねん」「頑張れや」みたいな。高校までの6年間はアカデミーにいることは決まってたから「俺、大学は(出身地の)京都に帰る」って言ってたら、「いや、1回出て行ったんやったら、もう帰ってこんでいいで」って言われたり。冷たい感じとかではないですけど(笑)。
ライオンが愛する我が子を崖から落とす、みたいな?
そうですそうです(笑)。
JFAアカデミーは自分から行きたいと言ったんですか?
ちょうど僕が中学に上がるタイミングで親がアカデミーの存在を知って。僕は選考会が好きだったんですよ。進路も考えていたし、「選考会あるなら行く!」みたいな感じで行ったら、受かっちゃって。だから京都を離れる覚悟を持ってたわけじゃなくて、やばい、行くしかないやん、みたいな。
中学生から親元を離れてチャレンジしたことを、改めてご自身ではどう感じますか?
僕は末っ子で、それまで親にめちゃくちゃ甘えてたんです。何でもやってもらえる環境に育って、当たり前なことさえ自分でできてなくて。でもアカデミーでは身の回りの整理整頓や掃除洗濯は自分でやらないといけないですし、起床時間も決まってたし、学校の成績が悪かったら怒られるから勉強もやる…おかげで自立した生活に繋がりました。
それは直接関係してないようで、サッカー選手としてもとても大切なことで、実際上に行く選手って自立してる選手が多いと思う。もちろん良い指導者もいて環境もすごく良かったし、アカデミーに行って本当によかったですね。
筑波大学時代はユニバーシアード代表で、現在フロンターレ所属の紺野和也選手と山本悠樹選手も一緒だったんですね。
みんな仲が良かったんですけど、特にカズヤくん(紺野選手)とは仲良かったです。当時僕「乃木坂46」が好きだったんですよ。で、カズヤくんも乃木坂好きで、その話題で意気投合して盛り上がってました(笑)。
かわいい思い出ですね。
当時、代表メンバーに同じ1年生がもうひとりしかいなくて。そいつはもう顔見知りがいっぱいいて、僕は完全にひとり。誰と喋ろう…と思ってたところ、3年生のカズヤくんと乃木坂の話題で話せたんです。カズヤくん、めちゃくちゃ優しいから。誰とも壁を作らないんです。
その紺野選手と同じタイミングで移籍してくることになったんですね。
嬉しかったです!正式な発表前に移籍の噂はあったから連絡して「僕行きます」「僕も行くよ」「それアツいっすね」みたいな感じで連絡は取ってました。
今はフロンターレの右サイドを形成する関係です。ピッチではどんなこと意識されてるんですか?
カズヤくんの左利きの長所を生かしたドリブルや攻撃センスはものすごい武器だし、チームの強みだと思っています。直接的にも間接的でもいいんですけど、そこに僕が関わっていく方がカズヤくんの良さがもっと出ると思いますし、それを続けていくことで僕にもチャンスが回ってくるかなと。サイドバックの選手というのは、いかにサイドハーフの選手を生かしつつ、どう連携を取っていくかが大事で。サイドハーフの選手の特徴を出させることがまずベースにないといけないんで、カズヤくんとはそういう気持ちでやってます。
百年構想リーグも4試合を終えました(取材時)。スタメン出場が続いていますが、手応えなどいかがでしょうか?
苦しい展開になった試合が多かったので、すごく満足とは言えないです。自分自身も得点シーン(第3節FC東京戦)含めて、特長を出せてる部分はあると思いますけど、1番良い時の自分を知ってるからこそ、まだまだできるしやらなきゃいけないっていう思いが強い。チームとしても個人としても、ここからさらに伸ばしていかなければならない段階なので、まだまだという感じです。
移籍初ゴールはゴラッソ(素晴らしいゴール)でしたね。
ゴールは大きかったですね。僕は攻撃に特徴があるので早めに得点を決めることができて嬉しかったです。でもあの1発だけにならないように、これからもっと増やしていきたい。ゴールやアシストで皆さんの印象に残るプレイヤーになりたいといつも思っています。
最後に、フロンターレサポーターの印象も教えてもらっていいですか。
僕が1番いいなと思ったのは、サポーターの皆さんもしっかりプライドがあるところ。優勝を経験してる、しかも近年優勝してるクラブとして、その基準を常にサポーターの皆さんが示してくれるというか。
そのプライドが伝わってくるんですね
はい。例えばエスパルスでは、引き分けでもいい内容の試合をした時は、ちょっと拍手の量を多くしてくれたりしてたんです。だけどここでは、いやいや勝とうぜという空気を伝えてくる。クラブは、選手は入れ替わりながら続いてますけど、サポーターの皆さんはずっといるわけじゃないですか。だからサポーターはいい時も悪い時も知ってて、良い意味でチームが目指すべき基準を知ってるんだと思う。それを今、自分は教えられてるなって感じています。
プロフィール

【山原 怜音】1999年6月8日生まれ 京都府京都市出身 クラブ公式プロフィール
攻撃参加が持ち味のサイドバック。JFAアカデミー福島、筑波大学を経て、2021年清水エスパルスに加入。豊富な運動量と精度の高いクロスを武器に主力として活躍し、2026年川崎フロンターレに完全移籍で加入。ここまで開幕から全試合スタメン出場を続け(取材時)、百年構想リーグ第3節FC東京戦ではゴールを決めるなど新天地で存在感を高めている。将来を嘱望される日本人SBの1人として成長と飛躍に大きな期待が寄せられている。

フリーアナウンサー 高木聖佳’s eye フリーアナウンサー 高木聖佳’s eye

「怜音」レオンって素敵な名前ですよね。由来を聞くと「3兄弟で、長男がリョウで、次男がルイ。全部ラ行の始まりだったから、次はレからはじまる名前にしたみたい」とのこと。そして「ここからは『ほんまか?』って感じなんですけど…」と「ちょうど両親がサッカーニュースを見ていた時に『レオン』ていうワードが耳に入ってきて、その音いいねってなったみたいなんです」。ご両親は、その名前が誰のものなのかわかっていなかったそうなのですが、年代を考えると清水エスパルスの元監督、エメルソン・レオン氏なんじゃないかと山原選手は推測しています。「もしそうだとしたら、僕が清水エスパルスでプロ入りしたのは運命なのかなと思ったりします」。確認の術はないですが、なんだか素敵な話ですよね!
ところで、取材陣は山原選手について「とても話がわかりやすい」と口を揃えます。このインタビューでも、ひとつの質問に期待以上の答えをくれて、改めて「言葉」を持つ選手だなと思いました。山原選手も「伝え方が上手い人」が好きで、自身も言葉遣いも含めて人とのコミュニケーションのスキルは大事にしているそうです。サポーターの皆さんもぜひ練習場などでその魅力に注目してください。

⾼⽊聖佳
⾼⽊聖佳(X @takagikiyoka